梅田理栄子【うめだ・りえこ】広島県福山市
梅田理栄子プロフィール
Prolfile広島県福山市在住
現在、デジタルギャラリー「アーティストサロン」の窓口として活動中。
アーティストサロンに参加する方のために
最近は「プチフォトグラファー」(自称)としても活動中。
作家の作品、お店の外観・内装、商品の撮影も始めました。
梅田理栄子からのメッセージ
Message下記の作品はアーティストサロンの宣伝部長の「まる」です。ミニ作品集やカレンダーにもなって、「可愛い!」と好評です。
つい先日、当社の営業の「みーこちゃんが」まるの可愛いメモ用紙を作ってくれました。わが家の「愛猫」のペーパーアイテムを作りたい方がいらっしゃいましたら、
少ロットでお作りしていますのでぜひご相談ください。これが結構楽しいのです。看板猫のいるお店にはピッタリかもしれません。
グッズとか・・・
お気軽にご相談ください。
梅田理栄子 展示作品
1.ある日僕は・・・
僕の名前は「まる」。ご主人様が付けてくれた。
ノラだった僕は、ある日道路の溝の
フタの穴から落ちた。真っ暗で怖かった。配水管にたどり着いて上を見ると道路に設置された鉄の柵の蓋から車の走る音やライトの灯が見えた。
一生懸命声を上げて鳴いた。
力一杯鳴いた。
怖くて鳴いた。
3人の見知らぬ人が、僕を抱き上げ助けてくれた。
どうやら、助かったようだ。
2.机の上でゴロリン
気がついたら、僕はここに棲んでいる。
外の世界より、狭いけど、
時々お客さんも来るし、
廊下で、ご主人様がボール遊びもしてくれる。一緒に鬼ごっこもするよ。
僕はご主人様の洋服の袖に飛び付いたり、
ぶら下がったり・・・
たまに、袖に穴があくけど気にしない・・・
そんなに怒らないで・・・
またボールで遊ぼうね。
3.遊ぼうよ・・・
僕はパソコンの隣が好き。
ご主人様の仕事の邪魔をしている訳じゃあないんだ。僕の相手をしてもらいたくてここにいるんだ。
「こら!まるちゃん!邪魔しないで!」
そんなに怒らないで!
「早く仕事済ませて、一緒に遊ぼうよ・・・」
4.まるちゃんのチャームポイント
僕のチャームポイントは、鼻のところかな?
よく絆創膏を付けているみたい!」と言われる。
可愛いと言われるメリットの要素かな?
ご主人様はこの鼻の下の模様を大変気に入っているんだ。まぁ、この模様がなければただの猫なんだろうけどね。
僕には見えないからどうでもいんだけどね。
5.僕だけの通路
ここは、僕だけが通れる台所につながる通路。
流し台のそばにある窓からは、車の走る姿や電信柱にとまったカラスや鳥が見えるんだ。ここに来ると、よく叱られるんだけど、
僕は好きなんだ。落ち着くね。
ご主人様には通れない僕だけの通路。だけど、大きくなった今の僕には
通れなくなった思い出の通路なんだ。
7.来るなら来い!
腕をつかまれるか、尻尾をひっつかまれるか
せっかくくつろいでいる僕の腕にご主人様の手が伸びると
抵抗する僕である。
「来るなら来い!」
時々、お尻をペンペンたたかれてしまうけど
ぜんぜん懲りてないよ。
9.おやつはいりこ!
時々おやつに「いりこ」を食べる。
僕の体はカルシウムがしっかりとれているから
骨は丈夫だと思うよ。
バリ、ムシャ、ムシャ。
いりこも塩分が多いのと控えめなのとあるみたい。
ご主人様、できれば塩分控えめを・・・
10.狭いところでも・・・
狭いところも落ちつくね。
僕はベジタリアンだから
レタスやほうれんそうを見ると
たまらなく「にゃお~」と叫んでしまう。
夏になると「猫じゃらし」は最高!
草の部分バリバリ食べて
穂のところはおもちゃで遊ぶ。
ご主人様は時々「猫じゃらし」を
僕のお土産に持って帰ってくれる。
アナログな私
現在、アーティストサロン窓口担当。
高校を卒業した私は、イラストレーターを夢見ていた。私が20代前半の頃は、まだインターネットというものが、めずらしかった。
その頃、少しづつパソコンで絵を描く人が増えてきた。
パソコンで絵を描いたら、絶対いい絵が描けなくなるからと、まわりのデザイナーさんのいう事を受け入れず、 手描きに、こだわり、自宅の畑で野菜を作ったり、虫や鳥を観察したりしてミミズや微生物の世界を表現していた。
昆虫学者のようなイラストレーターになれたらと 夢を大きく膨らました。
20代前半、野菜を作るのが上手くなって、 色んな人にあげていたら「あなた若いのに、すごい特技をもっているのねぇ」とよく、びっくりされた。
気が付けば、野菜を育てながら土の中の世界を一日中考え作品にも表現していた。
草の気持ちや鳥や虫の気持ちを考えたりしているうちに 作品がどんどん、母性的な絵になって、私らしい作品になっていった。
美術やデザインの学校は、行けなかったけどすごくいい体験をさせてもらったと今でも感謝している。
作品持って印刷会社やデザイン事務所に売り込みに行ったり
設計事務所に額入りの作品を持って売り込みに行ったり
ご縁があったものは、全て断らず、後の「肥やし」になると思って何でもした。
自分が実験台だと、いつも思っていた。
30才で、何かが変わると思っていたら、気が付いたら、パソコンを使い始めた。
パソコンはあくまで道具、認知するのはアナログ(人間の心)、
自然が教えてくれた知恵は今でも大切な宝物。
これも運命だろうか?アート情報サイトの担当者になっていた。
これからも、過去の精神をアーティストサロンに活かしていきたい。