小野竜太郎【おの・りゅうたろう】岡山県岡山市
小野竜太郎 展示作品
写真集のご紹介
わたしと写真
私と写真の関係の始まりは、中学2年の時から始まる。当時、私は親から借りたコダックのインスタントカメラを使っていた。シャッターを押すだけ。チッ・・という音と共にシャッターが切れる。簡単なものだった。
箱形のそのカメラは、プラスチックでできていて、当時でも決して良いものとはいえないものだった。ある日、クラスメイトのT君が学校へカメラをもってきた。学校で写真部に属し、写真が好きだったのだろう。私は、そのカメラを見て、一目で惚れた。かっこ良かった。たぶん、記憶は定かではないが、ニコンFだったのだろうと思う。彼は、そのカメラを自慢げにクラスメイトに見せていた。その時からである。私は、何時か、自分でお金を稼げれるようになったら一眼レフのカメラを買おうと思うようになった。
高校生活になって、しばらくは運動部でバトミントンに明け暮れたが、大学生になって、アルバイトをするようになり、貯めたお金で本当に一眼レフを買った。夢にも見た一眼レフのカメラ。中学生の時に見たカメラは、高級すぎて買えなかったが手に入れたのはキャノンのT-70だった。今でも、思い出す。うれしくてうれしくて、何度も何度もさわったあげく枕元において寝た覚えがある。
それからというもの、24時間、カメラを持ち歩いていた。何時、どこに行くときにも一緒だった。写真を撮りだしてから、サトウカメラ店に入り浸りになった。当時はまだプリント代が高く、1枚70円くらいだったと思う。それでも、毎週のようにどこか行っては写真を撮りプリントしていた。ある時、いつもそのサトウカメラ店の店頭で受付をしていたとても感じの良い「おばさん」が、「良い写真が撮れてるね」「一度、写真コンテストにでも出したらよいのに」と言ってくれた。
私は、今でもその人に感謝している。その人のその一言がなかったら、今の私はいないかもしれないと思う。その一言がきっかけで、写真コンテストに出してみようと思うようになった
初めてのチャレンジは、毎年5月にあった富士写真フイルム主催のモデル写真コンテストだった。その頃、1年で最も大きい写真コンテストで、応募者も多く、その写真コンテストに行くことになった。良く出入りしていたそのカメラ店で、確か「船橋 章」さんという素晴らしいセンスのアマチュアカメラマンほか、何人かのカメラ好きの方たちと共に行った。撮影は楽しくて、その時の様子は、この歳になっても良く覚えている。翌日、プリントして、どれを出すかで悩んでいたとき、その船橋さんがいくつか選んでくれた。その時教えてもらったことは、現在でも私の写真に生きている。私の師匠は、その方だと思っている。
現在、私は、カメラを握って33年になる。
プロとして名乗りを上げて、28年になる。
毎年毎年、写真というのは何と難しいんだろうかと思う。真実を写すと書く、写真は、本来は記録を残す要素が強いのだろうがいつからか、芸術の要素も持つようになった。ある時間、空間の瞬間をとらえ、封じ込める。何とおもしろいではないか。
最近、デジタルカメラが登場した。デジタルカメラは、写すことにおいてはフィルムカメラと基本的に何ら変わらない。しかし、表現の幅は、ものすごく変わったと思う。撮影した写真(データ)をコンピュータという絵筆を使ってそのまま再現することも、創作することもできる。まさに絵画の感覚だ。その景観や情景などから、自分の想像力を働かせ、コンピュータ(正確に言えばフォトショップというソフトウエアなのだが)を駆使し創作していく。「これが写真!?絵画じゃないの?イラストじゃないの?」のような表現も自由だ。
私は、デジタルカメラとコンピュータの組み合わせで、初めて本当に自分の表現したい世界を発見できたと思う。見た人が私の感動を感じていただければ、私は満足だ。デザインやプランナーとしての仕事、写真の仕事、等様々な分野を手がけてきたが、私は、ライフワークとしてこのテーマをやっていきたいと思う。
時代や技術と共に、写真表現のあり方も変わって良いはず。写真のあり方が、「これじゃないとダメ」なんてつまらないではないか。様々な表現の幅を持って、ますます楽しくなる。そんな世界をこれからも追求したい。デジタルフォトアート・・・と命名した。